2020/05/08 23:16

前回までの足跡はこちらから↓

24歳春。

パン屋のオープニングスタッフとして働くことになった。

同期は20名ほど。

私は経験者と言っても。

社会人として働いていたのは接客業の経験の方が濃く。

またその当時はオーナーシェフブーランジェの他にシェフパティシエもおれれ。

またその下にパティシェ経験者も多く、最初は販売の仕事メインで働くことになった。

、、、が!しかし。

【開店したて。という事】+【無名のシェフ】が出すお店。

そのシェフがパン屋での修行は長くとも、

消費者側からは知ったこっちゃない。訳で。

最初っからぜーんぜん!売れなかった!!!!(笑)

それでも、

一般的なパン屋さんや菓子屋さんのように

朝は大量に作って店に並べる。。。

1日の来店者は10人以下、、、は普通なのに。

『大阪中央卸売市場』という市場の中のまた、わかりにくい場所にあり路面店ではないこともあり、もう全然知られていない(笑)

パン自体は意図がある美味しさがあり、素直に美味しい。と思える

センスが光るパンをそつなく焼くシェフで。

勿体ない。という言葉がピッタリのパン屋さんでした。

今思えばこの頃から、

届ける相手が明確ではないのに、ただ焼いて店に置いておく。というスタイルに疑問があった。



大切に人生と命を懸けて生み出した我が子(菓子やパン)

焼いたら(産んだら)終わり。その後は知らない。

で、上手く消費者に届く(育つ)訳が無い。

そこから実際に食べ手に届けることまでが大切で。


もちろん、そこで終わらないところがオーナーシェフの頭の良さ。

そんな目立たない所で店をやるのだから最初から店が売れるわけがない、と言う思考はシェフはもちろんわかっていて。


『チャリンコにパンや菓子達を載せて売ってきて。』

と、全スタッフに指示し

チャリンコを大阪市内で走らせて適当にそこらへんで止めて(笑)売ることになります。

が、

名も知らない店のパン屋。

やたらデカいチャリンコを走らせて

そこらへんの道の売れそうな場所に適当にチャリンコを止め。

『パン売ってます!』言うても。

ただただ、怪しい訳で。

想うように売れるわけがない。(笑)

それでも。

毎日毎日、

パンや菓子は朝には大量に焼かれ。

それをスタッフみんなに手分けして運び、売りに行く、、、

長い時は9-17時まで。

運がよかったら1時間ほどで2万円ほど売れるのだけれど、そんなラッキーは一週間に1度あれば良い方で。

(ああいうのは場所と時間帯、言うなれば人の動きが重ねれば売れるという事はわかった。)

たくさんの余ったパンを持って帰るのは心が痛く。

パン屋の店の帰り際に。

バリスタ時代のお店の前を通り

(バリスタ時代はこの記事で→https://note.com/sobokunayuki/n/na6000216236e?magazine_key=md5f05d21c9c4)

その時代まだそこで働いていたバリスタの先輩たちにパンを買っていただいたり、

働きに来ているのに、自分で買ったりして。

少しでも売れたよ。と言って店に変えることも多々ありました。

画像1

途中でチャリンコと台車が取れることもしばしば。。。


今考えれば、

そもそもの働く&売るの

店側のシステムがおかしくってそんな事しなくてよかったのにね。

何にも解決されない。店にも良くない。


お給料もらっているからいいんじゃない?と思われた方!

あまーい!

お給料は最初の2時間だけ時給が入り、なぜか一週間ほどたってから

『歩合制にするから。』

とスタッフミーティングの時に勝手に決まり。

もちろんスタッフミーティングもただ働き。(笑)(思ってたより売り上げなかっんやろね)

最初のお給料なんてほぼ無かった。(笑)


まさかこんな店だとは!!!と

その当時の同期は一斉に店を去っていき。

その時にシェフパティシエも去り。(求人がめっちゃステキやったのでみんないろんな仕事を蹴ってやってきた方も多く。店への期待値が高かったのもあると思う)

仲良くしてくれたスタッフも多く

『ゆ季ちゃんも一緒に辞めよう!絶対やめた方がいい!この店は危険だ!』と誘われたり。

そんな店の様子を知っていたバリスタ時代の先輩も

『働き方は選んだほうが良い。ちゃんと考えて店を選び!』とお言葉をくれていた。

けれど

その当時の私には

『辞める』という選択肢は全くなかった。

それは前回の記事↓

https://note.com/sobokunayuki/n/n0672f8cd4d30?magazine_key=md5f05d21c9c4

にも、書いたように

1歳児の子供がいながらもやっとの事で受け入れてくれた職場。

何十件もケーキ屋やパン屋で断られやっと受け入れてくれた職場。

ココを辞めたら私の夢、菓子の仕事をすること。は途絶えてしまう。

ココを辞めたら、私は生きて行けない。

自分で選んだ。

自分にはココしかない。

その想いがめちゃくちゃ強かった。

だから辞めなかった。

辞められなかった。

歩合制ならば、

売ればいい。

売れたら給料になる。

売れたら販売だけではなく、製造も出来る。

自分が売れさえすれば良いだけだ。

そんな思考しかありませんでした。


人間、追い込まれたら進むしかない。

出来ることをやるしかない。

よく言われる思考ですが、

実際に、

この思考を実体験として得られた、初めての経験でした。

、、、って

今は冷静に書けるけれど(笑)

その当時は『ここで結果出すしかない!!生きれない!』と必死しかなかったです(笑)

シェフを恨んだこともありますが(笑)

やっぱりこの体験は私の思考の根本を作ってくれたので大切な宝物です。

(この店で得られたのはこれだけではないですが(笑)まだまだあります。この店の時代の記事は何記事になるだろう^^;てくらいepisodeまみれです(笑))


画像2

(外販売の風景。大阪市内をチャリンコでうろちょろしているとお店の方が声をかけてくれ店の前に置いても良いとお世話になったこともあった。本当に有難かった。)


そうこうしている内に

パン屋がオープンして3か月が経った。

20数名程いたスタッフはシェフを合わせて5名ほどになっていました。(笑)

それでも相変わらず私は大阪市内をチャリンコで売りまくり。

けれども、売れる数には限界はあって。

夏になり外での販売は直射日光でパンの劣化も早くなり。

また自転車を止めたその土地で勝手に売るのは法律ギリギリ行為で。

何度か警察にも叱られたり。

通りすがりの変な人に絡まれたり。

めちゃくちゃやった訳なのです。(笑)

パン屋におる5年は事情を変え、

こんな仕打ち状態がずっと続くのですが。

その度に

誰の店やねーーーん!って何度も思いましたよ(笑)

でもそれも良い経験。と今になっては想います。

で、

外で売るのはちょっと危険やなぁ。とシェフの判断。

そう言えば、この店は市場の中。

『ゆきちゃん、市場の中で台車押してパン売ってきて!』

と来た(笑)

で、まだその当時は私も素直なもんで。

『とりあえず行ってみまーす。』と

昼間12時過ぎ市場内を

台車を押し歩いてみる、、、、。

そして気づく。

昼の12時過ぎの市場に人がいる訳がーない!!!!!(笑)

それでも遅くまで残業していた、魚売り場のおっちゃんに話しかけてみる。

『ねぇちゃん、売るんやったら昼間はあかんで。朝が一番売れるわ!』とお話してくれ。

そしてそのまま店に帰ってシェフに伝える。

で、二言目には

『私、朝5時から出勤しましょうか?』

とか言っちゃてた!

もう必死やってん。

売り上げが欲しくて欲しくてたまらなかった(笑)

だって売り上げなかったら死んじゃうと本気で思ってたから

そして朝から出勤したら製造も少し出来るという欲もありました^^;


さてさて。

夫に『朝から働いていい?(朝のシュウの保育所は送ってね)』と

後から相談いや、勝手に決定?し(ひどい嫁^^;)

入社3か月目で朝5時から働く事となります。(笑)


結局この販売方法が大当たりして

普通にお給料を頂けることになり、

菓子製造責任者として活躍させて頂くことになるのです。

(その話はまた今後の記事で時系列的に話させて頂きますね。)

人生何が起こるかわかりません。


朝5時に出勤することが決まってからは、、

誰もいない厨房に出勤し(その当時シェフは6時からで)

オーブンを稼働し

漂白された器具たちを洗い、

サンドイッチを仕込み、

生地を仕込んだり前日仕込んだ生地を分割したり、、、

お野菜を受け取ったり、、と

作業していると

6時組のスタッフがやってくる。

そこからノンストップで市場で売るパンの用意をし、売りに出る。

市場はめっちゃ広いので2時間かけて売り歩き(2時間でだいたい150円のパンを3万円程売る)

そこから店に帰り明日のパンの仕込みを引き続きする。

13時くらいにようやく椅子に座れる。。。

その後途中から増えて行ったレストランやカフェの

卸のパンを焼いて行ったり。

菓子の製造、試作、発送作業をしたり。。

長い時は17時半までやって慌てて

長男シュウを保育所に迎えにいく。。

みたい事を次男を妊娠するまで2年間しておりました^^;

変な体験ですよね。(笑)

めっちゃしんどかった!(笑)

めっちゃ楽しかった!(笑)

そして夫にもシュウにもたくさんたくさん迷惑をかけた。


けれど

ただ、この2年間、一般的なパン屋や菓子屋では経験できない

商売とは??

について、市場のおっちゃん達に叩きこまれる事になるのです。

めちゃくちゃ充実していた歳はいつですか?

聞かれたら

焼き菓子屋そぼくな。を営んだ1年半。

けれども、

その次にはこのパン屋で過ごした時間を渙発入れずに答える。

それくらい、

たくさんの大切な事を体験として教えてくれた2年間。

その内容は

またまた長くなってしまったので次回の記事で、、。


最初の入社、三か月間でも。

●思いっきり体当たりしないと見えないことがある。

●結果出さないと死ぬ!!

●時には追い詰められ。そこで自分は本当に何をしたいのか?をしこたま問われ、考えさせられたり。

届ける相手が明確ではないのに、ただ焼いて店に置いておく。という現象に疑問を持ったり。。

と、たくさんの体験や今の核となる思考を獲得したのは間違いなしで。

この体験は

これから人生を進んで行くにあたり、

今の焼き菓子屋そぼくな。の思考を作っている大切な宝物になっています。


そんなパン屋のパン屋らしくない(笑)

入社最初の三か月の話でした。


読んでくれてありがとう!!!


焼き菓子屋そぼくな。

ゆ季