2020/05/05 10:49



これまでの足跡はこちらから↓

23歳4月。長男を産みました。

けれど

その間、製菓学校に行くためにした借金が止まるわけではなく。

初の結婚、出産、育児は思い通りにはいかず。

身体の言う事も行かない。

周りの大学の友達も製菓学校の友達も、みんなガツガツと働いていて。

周りで子供がいるどころか

結婚さえもしていない友達ばかり。

付き合いも悪くなり話も合わない。

どんどん、どんどん、一人になっていく。

手探りの毎日。。

一人、家で焦るばかりの日々。。


でも。


ぜーんぶ!自分の選択した結果でしかなく。

ぜーんぶ!自分の責任。


家にひとり、ただただ、赤ん坊の長男(シュウ)と向き合いながら

『私は何をしたいんやろう?』

『なんの為にここまでの選択をしてきたんやろう?』

『夫ばかり働かせて自分は赤ん坊(シュウ)をみて、稼ぐこともない、、なんてみじめなんだろう。』

『でもシュウを人として立派に育てたいとも思う。というか自分がまずは立派にならなくちゃいけないのに。。』

と、

若造ながらに母としての想いもあるし。


働きたい。自分で稼ぎたい。という大人としての想いをあるし。


夢を叶えたい。という、想いもあった。


いろんな視野の私たちが。

シュウを産んでからずーっと脳内で話し合いをしていた。


赤ちゃんを産んだら(私の場合は)

朝昼晩という時間枠は当分無くなり。

夜中でも赤ん坊は泣きだし。

母親が寝てようが寝てまいが元気だろうが元気でなかろうが。

ずーっと24時間、身体の拘束がある。

家の中にいるだけで何もお金という価値は生み出しておらず。(けれど今は世の中で一番尊く価値ある仕事は“母業”だと思う、資本主義の価値で計れないだけ。)

人によっては違うけれどシュウはそんな赤ん坊で。

よく泣き、よく発熱し、よくお腹を壊し、死にかけるくらい身体を壊し。。入院を2回ほどするような子だった。(有難い事に9歳の今はとても元気です。)


け れ ど も。


身体は疲れようが、

頭の中には意外と考える余白がたくさんあって。(夫が私の分まで1日を名一杯働いてくれていたから、家には私と長男だけだった。実家も遠かったので話す相手もいなく。そんなに働かせてしまったのも、とてもとても申し訳なかった。)


『私はこれからどうしたい?』が常に頭の中に24時間会議状態。

けれど、身体はずっと疲れている。


何もできない自分。

夫に迷惑かけている自分。

に、腹立たしく。


シュウをちゃんと育てて行けるか?という不安。


そんな脳内会議と初めての子育てに追われた23歳の一年間。


それでも働かざる者食うべからず!

子どもが生まれようが何しようが、自分で作った借金だ。

つべこべ言わず立ち上がれ!!!


シュウが1歳になった4月。

働きだします。

本当は十か月で仕事しよう。と考えていたのですが

私立の無認可保育所しか空いておらず。

しかもめっちゃ高い。(大阪北区に住んでいたのでめっちゃ高いのです。)

預けることは可能でも出て行くお金とそれを生み出すための仕事の時間がめちゃくちゃいる!それは意味ないかも、、とまたワガママ炸裂で、夫に相談し1歳まで待って1歳になってから働く事を選びました。

今すぐにでも働かなきゃ!みいたいな状況ではあったのです。

どれくらいかと言うと

充分に食費が使えなくて。

お米も買えず^^;

祖母から、たまたま送られてきた【お正月に余った大量のお餅】を

ちまちま食べていたくらい貧困でした^^;


けれど、それでもシュウとの時間を選び1年間一緒に過ごしました。

その時間を頂いたことは今でも夫にとてもとても感謝しております。この感謝は一生忘れない。


そして24歳4月。

忘れもしない、2012年4月。

オープニングスタッフとしてパン屋で働く事になります。


お金に困っているのに、飲食?の仕事?

また貧困一直線やん!と少し考えればわかるのですが。

私の飲食一筋!はそんなにお金に困っていても決まっていて。

仕事を決める時。

シュウを保育所の慣らし保育に預けたんです。

生まれて初めて(産んで初めて?)

シュウを人(保育所)に預け

自分の時間が出来た時。

凄い勢いでシュウが泣いたんです。

めちゃくちゃ、

めちゃくちゃ、、、

心が痛かった。


学費を、借金を、、返さなきゃいけない。

だから働く事は決まっていた。

シュウが泣こうが、わめこうが。

働かなきゃいけない。


その時思ったんです。

シュウと離れ離れになるならば、

シュウに恥じないように働こう。


そしたら働く選択肢は一択でした。

私が誇りをもって働ける仕事は菓子をお届けできる仕事。


はい。そんなこと言いますが、、

そぼくな。の足跡をずっと読んでくれている方ならお気づきかと思いますがまだこの時点で菓子の仕事にはあまり携わっていません(笑)

でも。譲れなかったんですよね。

【どうせ働くなら後悔せずに働きたい。】

これがその当時はめっちゃ強かった。

それは同期の子たちが私が育児をしている中、どんどんお菓子屋さんで実力を出していたからの焦りもある。

そして。

自分の夢が叶わなかった事を、

子供がいるから。という責任転嫁だけには絶対にしたくなかった。

子どもがいたって、夢は叶うと証明してみせたかった。


何より行きたくないのに保育所に行ってもらっているシュウに対して

『かーちゃん、めっちゃ仕事楽しいねん!

誇りもってるねん!ありがとう。』と言って

いつも保育所に送り届けたかった。


それでも、そんな想いだけでは世の中、上手くはいかなくって。

求人の電話をケーキ屋さんに入れるたびに

『1歳の子供がいる』という事を伝えたら

面接もせず電話で『そしたらお子さん熱だしたら休みますよね?働くのは無理ですね。』

と、

約10件ほど断られ(都会なので店は多い)

断る理由はごもっとも。

けれども。

とても、とーてーも!悔しかったーーーー!!!

(『“元”パティシエ』が多いのはこんな理由やと思う。一人欠けたら店が回らない状態が多く。それなら元から子供がいるスタッフは雇わない。結婚退職や出産退職が多い。それに時間帯的にも子育ての時間とは合わないから店側ではなく雇われる側からサヨナラするケースも多い。全てがそうだとは言わないけれど。。)

それでもめげずに探し。

ふと目に入ったのが

4月にオープン予定のパン屋さんの求人。

菓子製造もあると書いてある。

自転車でいける距離。

子持ちもOK。。。


ここだ!!

と思いさっそく電話し面接。

オーナーブーランジェは5歳年上の綺麗なお姉さん。

お子さんもいてシュウ君の1.2個上の年子の子たち。

話も合い。

今まで自分が歩んできた経緯。

なぜこのお店か?等、

もうココしかない!!とめちゃくちゃ前のめりで雇ってくださいアピールをしまくり(たぶんめっちゃウザかった(笑)

無事、働くことになったのです。

本当はね、もう一つ働く事が決まっている所があって。

そこは老舗のケーキ屋さんの販売スタッフやったのです。

けれども思い切って、今からの何も実績のないパン屋さんを選びました。

安定を選ぶのであれば老舗のケーキ屋さんやったのだけれども、、

稼がなあかんのに(今思えば、だからこそ?)

ワクワクするほう選びたい!!とパン屋さんを選びました。

結果的に5年間そのパン屋さんにお世話になります。


とてもとても体力的にも精神的にもハードな毎日やったけれども。(笑)


それでも

このパン屋さんで働けた事で

焼き菓子屋そぼくな。がある。と言っても過言ではないくらい。

感謝ばかりの5年間でした。

おい!!と突っ込みたくなる事もたくさんありましたし

色々とありましたが

あの時、雇ってくれていなかったら

焼き菓子屋 そぼくな。も

今、この私の思考も

尊敬する上司、同僚も

出会うことは絶対になかったから。

今でも本当に本当に、感謝しております。

さてさて、

その名一杯詰まった5年間の紆余曲折は

次回の記事に。



読んでくれてありがとう!!^^


#焼き菓子屋そぼくな。

ゆ季