2020/05/04 17:31

住民票まで移し

一人暮らしを始め、

憧れのケーキ屋での就職。


しかし、4日目で早々と退職した22歳春。

前回の記事はこちらから↓


それでも働くもの食うべがらず。

さて、どーしようか?

啖呵をきって出た割には。ただ店と、菓子への想いだけがあって。

学校を卒業した何も結果を出していない22歳にすぎない。

4月、ケーキ屋の求人もだいたい落ち着いており雇ってくれるところも少ない。

それでもひたすら熱い想いだけは菓子にはあって、二年間の学校生活を終えただけで勝手な菓子屋とは?菓子とは?を自分の中の世界だけで作り上げていた自分に気づいた瞬間でもあった。絶望ー!

ちゃんと菓子屋として働きもしていないし、

自分が表現した菓子で価値を提供し、お金を頂いたこともない若者が何を言っているのだ。という感じだ。

ほんっとーにアホだ。

菓子、菓子、、と傲慢にならずにちょっと一番苦手なことを

この際なのでやってみてもいいかもしれない。

と、また思いつきだけで行動することにしてみた。

【接客】を仕事にしてみよう。とひらめいた。

と、いうのは高校生からバイトはしていたものの

ずっとキッチン。厨房、一対一の家庭教師くらい。

理由は人見知り。

家庭教師や厨房などの密に気づく人間関係は普通にできるのやけれども

その場その場限りの火と付き合いが超!苦手やった。

(今考えればただの食わず嫌いでしかない。)

けれどキッチンや厨房にこもる仕事ばかりじゃ傲慢な考えになりやすいかも、、。とふと思い。

若いうちに人ととの関わり合いに仕事として触れておいた方がいいかもな、とまた安易な考えで接客業を選ぶことにしました。

でも。ただ接客業だけじゃつまらないなぁ。と思いバリスタ業が行きつけのカフェで求人を募集していたので面接を受けてみることにしました。

表現すること(好きな事)と接客(苦手なこと)の両方が仕事で出来るなら成長するかも!と成長欲もくすぐられての気持ちで入社しました。(軽いね、ほんと軽いよ腰が。なんも考えてないところ^^;)


カフェでは有難いことにすぐに採用してくれて。

すぐに働きだすことが出来ました。

このカフェも長い時は11時~24時頃まで働いたりと労働時間は前回同様長かった~(終電もなくなるし(笑))のだけれど働く楽しさの方が勝っていました。

それはバリスタと言っても接客業だけではなく表現できる部分もあったので自分にあっていたのはもちろんなのですが、

それよりも、

先輩方が楽しそうに働いていた事と

その楽しさを、こんなアホな私にも仕事を通して伝えてくれていたからなのかな?て振り返ってみて感じます。


本当にめっちゃ楽しかった!


と言っても土日は気が狂うくらい忙しく泣きそうやったこともたくさんあったのです(笑)

終電逃して次の日も朝から出勤は眠さで死にそうになったこともある。

終電間に合って家についてそのまま玄関の前で眠っていたこともある^^;

けれども、ありきたりなのですが、常連のお客さんとの何気ない会話や。

ラテアートをお渡した時のお客さんの笑顔。

を、

目の前で見られる喜びは。

疲れや寝不足なんて吹っ飛ぶくらい仕事、楽しいなぁ!

誰かの笑顔になる仕事ができて嬉しいなぁ!!とめちゃくちゃやりがいを感じていました。


人見知りなんて一瞬でなくなっいました。(笑)

初めまして!の目の前のお客さんを相手や

常連さんに

「こんなラテアートはどうだろうか?」と

お客さんの事を想いながらラテを作り出す楽しさや幸せなひと時は、

今の#焼き菓子屋そぼくな。の菓子をお届けする時の、

ワクワクとした嬉しい気持ちと、全く同じでした。


焼き菓子屋そぼくな。の菓子が受注生産でしか焼き届けない理由 は、

この時の↑気持ちから既に確立していたのかもしれません。


今は休業中の身ですが

今度再開する時もやっぱり、ご注文を頂いた方を想って焼き、届けたい。

一般的にバーン!と焼いて誰が来るかもわからずに菓子を並べて待つスタイルとは菓子の表情がやっぱり違うのです。

焼かれているのでその素材に付随した微生物さえ死んでおりますが、

それでも『菓子一つ一つに命は宿っているのではないか?』という気さえするくらい、

一つ一つの菓子に表情があります。


お客さんからしたらどちらの状態(受注生産か?それとも焼いてからお客さんを待つのか?)で焼かれても同じ表情に見えるのかもしれない。

けれど、やっぱり違うのです。

表情が同じように見えたとしても。

微々たる違いをお客さんは潜在意識で感じ取り、ご注文を頂いている気がします。(じゃないと、あんな一般的に高い菓子売れないと思う。)


抽象過ぎて申し訳ないのですが、、

これはこの方法をやってみて、

またバリスタの経験で実際に感じる事なのです。

やった事無い人にしかわからない経験で。

やっぱり、経験するから感じ取る考え想いってあると思います。

急に菓子からバリスタの道にそれた様に見えるけれど、

焼き菓子屋そぼくな。の核心を作り出した大切な道でした。


結論。


接客業楽しすぎ!

そして作り手にとって接客業は、とても大切な職業だ!

という事を経験してわかった事でした。

そしてそれだけではなく、

人と人が働いて作りあげていくものが“店”なのだ。という事も

当たり前のことですが、それでも働くことで体感的にやーっと、

理解した職場でもありました。


それはやぱっぱり、先輩に恵まれていたことが大きかったのですが。。

ド・素人の私に、覚えきれない仕事の内容をメモに手書きでぎっしり書いて渡してくれたり(めっちゃ時間かかったやろなぁ。。って思うくらいの量!あの感動は忘れられへん。)

仕事終わりに夜中中ラテアートの練習に付き合ってくれたり。(ラテアートてただ牛乳混ぜればいい!じゃないんだよ!!何時間も眠い目こすって。本当に感謝しかない)

ダメなことはダメ!と叱ってもくれ

楽しい場所作りもとても上手で。



接客業の面白さや

チームワーク

魅せる仕事の所作 を、

本当に仕事で示してくれたました。


仕事として、も、もちろんですが

人と人とのその場の雰囲気を向上させていく

その空気感や所作は10年経った今でもやっぱり尊敬そのものです。

そして現在の焼き菓子屋そぼくな。でも、

人と人としての前提があって、そこを大切にした上で仕事(菓子屋)を作り上げていこう。

とその時に経験させてもらったことが行動指針になっています。

ただ、【中の人】としてケーキや菓子を焼くだけでは絶対わからなかった事。

その目の前の人の【人生のひと時】の中で。

ちゃんと自分の作り出したもの(その時はラテアート)をお届けした時の、

そこで生まれる空気間であったり幸せの色。香り。を

目で確かめて触れることのできた経験は

とても、とても大切で。

言葉にはなかなか出来ない温かさをヒシヒシと教えてくれました。

画像1

作り出したその商品の先には必ず相手がいて。

その商品は相手の人生の一部になって行く。

だからちゃんと、

その方の人生を彩っていくものをお届けしたい。

その気持ちは絶対に忘れずに

作り手としても

接客をするときも

というか、

これからどんな仕事をする時も

誰かと仕事するときも

良い空気間を循環させるように

仕事をしていこう。

忘れずにいよう。

(当たり前のことですが忙しさで忘れやすいのが人間という事も自覚しているからこそ!大切にしたい。)


そんなことを身をもって経験したバリスタ時代でした。


とっても濃い濃い時間を過ごさせて頂き。

数年働いたんじゃないか?って思うくらいなのですが。

実はここにも7,8か月しかおらず。

(有難いことに先輩方とは10数年経った今でも連絡はとらさせていただいています^^!まさかのお一人は同じ徳島でお店をされているのです。その話はまた機会があれば^^)

その1年後には


23歳で長男を産みます。

(高校から付き合ってた彼氏で今の旦那)

はい、できちゃった婚ですね。

どこまで行ってもアホですよね。

その後長男を産んでから

一番長く5年ほど勤めた店があるのですが

そこでこの甘々な私がめっちゃシゴカレマス(笑)

そして

急に加速して焼き菓子屋そぼくな。のブレない心が確立していくのですが。

めっちゃしごかれるからネ。(笑)

それはまた続きに。


読んでくれてありがとう!

#焼き菓子屋そぼくな。

ゆ季


PS...

画像2


久しぶりにバリスタ時代の事を想いだしたら

ラテアートをしたくなっちゃって、新居で初めてエスプレッソマシーンを出し入れてみました。

エスプレッソじゃなくて、ココアやし、ふにゃふにゃです(笑)

けれど#フォームドミルク を作り出すときには

“”ミルクは均一に泡立てることで舌ざわりが心地よくなるように泡立てる!“”

“”ミルクの甘みを最大限に出すように加熱!“”

と、

言葉がぽんぽんと浮かんできて(笑)

身体が勝手にその時の記憶を蘇らせてくれました。

それは、心温まる記憶と共に。

菓子やラテアート、コーヒーだって体にいれたら物質は消えちゃいます。

けれど。

一人でも。

誰かの記憶に温かく、焼き菓子屋そぼくな。が残ってくれてたらいいなぁ。

なーんて思った、そんなひと時でした^^