2020/01/11 15:12

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一般のものよりも、小さくって。

一般のものよりも値段が高い。

#スダチーズケーキ がそれを象徴する代表格ともいえる、らしい。

一年ちょっと#焼き菓子屋そぼくな。をやってきてお客さんとのやり取りや

レビューで感じる印象です。


“一般のものよりも” 値段が高くて

“一般のものよりも” サイズが小さい。


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でも、

そぼくな。は

“一般のもの”=“消費者の普通に出回るもの”を

一般とも普通とも思っていなくって、

むしろそれは普通でいいのか?と疑問を抱いて。

店を出し、店をやってきました。

その想いは

何度かBASEのブログにも

こちらのnoteにも書かせて頂いたし

店を始める前からの想い。

大きいから良い、とも思わない。

安いから良いとも思わない。(その基準も人によっては違うけれども)

その想いの根本はどこにあるのか?

というと、

何度も何度も言うけれど

“人を良くする食”というべモノを届けたい。

そぼくな。という店の在り方 や 菓子に乗せて。

そこに

大きいものとか、

安いもの、を

そぼくな。の菓子で目指す意味がないと思っている。

(社会には様々な店やその人なりに役割があるからそぼくな。の真反対の事をやっている店や人も居て良いとももちろん思っています。そぼくな。はこんな考えの店や菓子があってもいいんじゃない?という考えを届けたい。)

人を良くする、と言うのは

身体もやけれど

心も、とも思っていて。


大きくて

安くていっぱい買えて

お腹いっぱいに満腹になったらOK!良くなった!とも思わない。


空腹よりも

今の時代は満腹が人間を脅威に押しやるのでは?とさえ思っている。

値段に対して小さい、や大きいは

果たして菓子にとって本当に、本当に、価値ある基準であろうか?

菓子がお届けできるのは

満腹ではなくって、

“”感動“”やと思っていて。

そこに大きさはやっぱり関係なくて。

一口食べたときのふわっと

湧きあがる、香り、

食感の多様性。

そして食べ勧めるうちに彩りを持ちながら移ろいゆく味わい。

終焉に向かっていくにつれ

すっと消えていく。。

形も消えていく、

味わいも消えていく、

お腹にもずっしりと残らない。

(お腹や舌触りに残ってしまう菓子やたべものが一般には多すぎる。)


でも

それで消えても

心に“”感動“”という灯りをともし

勇気や背中を押してくれる。

そんな菓子が良い。


そんな事を考えるのです。

スダチーズケーキの大きさは

それを意図した大きさで

あれ以上大きくても

あれ以上小さくってもダメで。

(全て手作業なので少しのずれはもちろんあります。ごめんね。)

そこに意図がある、

味わい設計と

大きさの設計と

値段の設計です。

ひとつの舞台を見たかのような菓子を

お届けしたいと思っている。


「舞台」は形あるモノとして物体としては残らない。

けれどもその場にいる人に心の中にどかん!と感動を与え

その人の心に残り、そっと支えてくれるもので。

そんな舞台のような菓子を焼き届けたい。

そんな店でありたい。


価値を、

大きさでも誤魔化さないし

味の濃さでも誤魔化さないし

安さでも誤魔化さない。


本当に

心にも身体にも“実り”として残る

その食べ手にとって糧になるものを届ける。

スダチーズケーキに限らず

そぼくな。の菓子、どのお菓子にも

そんな想いを込めて

そんな目的をもってお作りし届けています。

そして、これからも。


何度も何度も書き、伝え届けていこう。


店のスタイルや

菓子の届け方が

引っ越しや環境で変わろうとも

その想いは変わらずに

挑戦し続け

届け続けていこう。



食べるとは何か?

働くというそれを選んだその目的は何か?

一回じゃ伝わらない。

一回の挑戦じゃ伝わらない。

けれど

この人生は一回きりだとは思うから

全力で楽しみ

全力で挑戦し続けたいなぁと思う。

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読んでくれてありがとう!

焼き菓子屋 そぼくな。