2019/08/27 14:59




【焼き菓子屋そぼくな。】で、じわじわと人気が出てきた

黒糖ラムレーズン。

本来?は

#ミルリトン と名付けられたフランスの伝統菓子。

意味は“貴婦人の帽子”

見た目そのままに帽子に似ているから名付けたそうな。

本来は白砂糖。

もちろん白砂糖の粉糖をドバーっとかけて焼いていたり

生クリームが入っていたり

入っていなかったり

地域によって中に入る果物がいろいろ。

と伝えられている。。。


で。

#焼き菓子屋そぼくな。は

フランス菓子の伝統を繋げたい!と想い、菓子屋をやっているのではない。

初めて食べた時。

この見た目の面白さの奥行。

味わいのバランス。に感動し、

そして私だったら

こう表現して食べ手を楽しませ、癒すことができるな!

ビビビッと脳内会議が始まり、

“黒糖ラムレーズン”=ミルリトンが生まれました。


ミルリトン、って名前を前面にもってこなかったのは

食べる前のお客さんにどんな味わいなのか?を

ストレートに伝える事の方が

正しい伝統とされるものよりも大切だと思ったから。

そぼくな。は伝統。とか、これまでの。とか、

そんな業界あるあるを食べて欲しいわけではない。



ありふれた言葉になるけれど

“おいしいもの”を食べてしあわせになって欲しい。

と心底思っている。

正解とか不正解とかではなくって。


体に入れ、時間を費やして食べる物なんだもの。

せっかくだから

その焼き菓子のおいしい可能性を

癒しの爆発!ってくらい届けたい。

どの菓子に対してもそれが大前提。

黄金色に焼いたクッキー生地はサクザクっと香ばしく。

アーモンド生地からコクリ、黒糖の甘さがにじみ出る。

そこに。

じゅわりとラムレーズンが心地よい。

上に振りかけた黒糖粉糖は

うすーい膜をつくり出し

ハラハラと、、カーテンのような優しさを演出する。

この、ハラハラだけ食べても香ばしい甘さがおいしい。

黒糖だけ、なんやけどね。

しっかり火を通すと砂糖なんやけれど

香ばしくって崩れ溶けた食感。。♡

おいしいよ。

お菓子のおもしろいところ。

小さなタルトの中に、

食感と味わいのメロディーを奏でる。

単調な甘さ、食感は作らない。

というか作れない。

一つの曲を奏でるように一つの菓子を届けたい。

一つの舞台を魅せるように一つの菓子を届けたい。


菓子は食べたら目に見えず。

消えゆくものやからこそ、

心に残るような感動をお届けする。

心底、癒しを与える。

そんな芸術のような一面を兼ね備えていたい。


それと同時に体に入り身になるものやから素材も信じたものしか使わない。


結果。食べ物として、芸術、としての視点でも両立しようとしたら白砂糖はどちらの面でも不要になったんやけどね。(主張しすぎて単一になるから)

で。

前置きはこのくらいにして本題。(長!)

さっきからチラホラ芸術、芸術言うとりますが。。

最近、そぼくな。の菓子は芸術やと考えています。

芸術にもいろいろあるとは思います。

菓子を作り出す意味。

菓子屋をやる意味。

人生の一部としてこの店をやる意味。

作り出した菓子達の深堀り。。

ここ最近、見つめなおしていました。

で、出た答えは

芸術。

焼き菓子は芸術というものとは一見関係ないように

食べ手からみたら感じるものかもしれない。

けれど。

芸術。だと私は思っている。

芸術は独りよがりのものと勘違いされやすいけれど、違う。

芸術の意味調べたことありますか?

芸術とは?

表現者と鑑賞者が相互に作用しあうこと。

精神的、感覚的に変動を得ようとする活動。


私は芸術ってなんやろう?って

調べたときにこの文が出てきて

「そぼくな。の菓子と一緒や!!」って思ったのです。

芸術を交えた前向きなコミュニケーション。

そぼくな。が考える

表現者は、作り手や店。

鑑賞者は、食べ手や買い手。

変動とは、癒しを与えたり、背中を押したり、不安を和らげたり。する事。

感動した舞台、本、音楽のようにそこから感じ良い気持ちの持ち方や行動を促すことができる事。

になります。


そんな菓子を作り、届けたい思っている。


((これは一見、鑑賞者が得る変動に思えるかもしれないのですが表現者も得ています。(その体験はまた次回のブログで)))


菓子は身体的に生きる上でなくても良い存在。

だから意識高い系の人とか食べるな!とか言うし

私自身もたくさん食べることは良くないと思っている。

(たくさん売れては欲しいけれど(笑))

市場として見ても儲かる市場では決してないのかもしれない。

そんなことは重々承知。

けれども!

じゃぁ、なぜ菓子はなくならないのだろう?

この資本主義社会から消えないの?

。。。

菓子は必要だから。

というのが私の答え。


依存性はもちろんある。

そんなことはわかっている。


だからこそ。

食べる代わりに

めっちゃくちゃ、舞台や音楽のように

感動させる芸術的な菓子を焼き届けてやろう!!(もちろん奇抜とか着色料!とかの安易な感動ではなく悪魔で食べ物として。)


だからこそ。

たくさん食べる量は必要ない。とも思っている。

(たくさん売れることは店として考えが広まったことやから、嬉しいけれどね(笑))

何度も書いているけれど

満腹ではなく満足のある菓子を焼き届けたい。


そんな芸術あふれる菓子を焼きます。

これからも。



#買ってくれたあなたへ


読んでくれてありがとう!

焼き菓子屋 そぼくな。

ゆ季